第5課 民話 桃太郎の誕生
岡山県には、吉備津彦をお祀りした吉備津神社があります。「吉備津造り」という美しい建築様式の神社で、山陽道では代表的な古い神社です。 この神社の縁起には、吉備津彦が大和朝廷から備讃海峡一帯を支配する温羅一族と呼ばれる鬼の退治を命じられたという話が記されていますが、この伝説をもとにして民話「桃太郎」が生まれたと言われています。
では、ちょっとこの民話の世界を覗いてみましょう。
昔、昔ある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。二人には子供がいませんでした。ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が どんぶらこどんぶらこと流れて来たので、おばあさんは桃を拾うと、家に持って帰りました。おじいさんが帰ってきたので、桃を食べようと、俎板に乗せたたとたん、桃がぱっと割れて、中からまるまるとした男の子が飛び出しました。 おじいさんとおばあさんは、桃から生まれたので、その子を「桃太郎」と名づけ、桃太郎を大事に大事に育てました。
桃太郎は、一杯食べれば一杯分、二杯食べれば二杯分大きくなりました。ひとつ教えれば十まで覚え、とても賢くてたくましい若者になりました。そのころ、悪い鬼が村を襲っては娘を連れ去ったり、宝物を奪ったりしていました。
ある日、桃太郎はおじいさんとおばあさんに 鬼が島へ鬼退治に行きたいから、きび団子を作ってほしいと、手をついて頼みました。 おじいさんとおばあさんは一生懸命引き止めましたが、桃太郎の気持ちは変わりません。そこで、きび団子を山ほどこしらえて、桃太郎に持たせました。 桃太郎が村外れを通りかかると、犬が「鬼が島へお供しますから、黍団子をひとつ下さい」とやって来ました。 桃太郎は「この黍団子は十人力だぞ。」と言って団子を分けてやりました。同様に猿と雉もやって来て、黍団子をもらって桃太郎の家来になりました。
桃太郎たちは鬼が島を目指して荒海へと乗り出し、日も夜もなく一心に漕ぎ、やがて鬼が島に着きました。皆、日本一の黍団子を食べているので恐いものなしです。そして、さらってきた娘たちに酒を注がせて、酒盛りをしている鬼たちを懲らしめました。
鬼の大将は両手をついて、「もう悪いことはしませんから、命だけは助けてください。」と謝り、盗んできた品々を差し出しました。桃太郎は鬼を許してやり、さらわれた娘たちと宝物を舟に乗せて、おじいさんとおばあさんの待つ村へ帰りました。めでたし、めでたし。
さて、桃から生まれた桃太郎とよく似た伝説は、古くからアジア各地にあります。古代中国にも赤ん坊が入ったつぼが流れてくる話があり、南方の島にも、赤ん坊が入った果物が浜に打ち寄せられる話があります。たぶん、それらの伝説が吉備津彦の鬼退治伝説や中国の勧善懲悪思想と結びついて、民話「桃太郎」が誕生したのでしょう。
この民話「桃太郎」は、スイスで世界の童話を全部集めて学者たちが検討したところ、世界で一番おもしろくてためになる童話という評価を受けたということです。めでたし、めでたし。