幽灵谷

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2日本列島に住みついた人々

Posted on 2010-04-08 17:04  zhb6022  阅读(112)  评论(0编辑  收藏  举报

(だい)() 日本列島(にほんれっとう)()みついた人々(ひとびと)

日本人(にほんじん)祖先(そせん)はどこから()たのでしょうか。はっきりしているのは、日本(にほん)大陸(たいりく)から分離(ぶんり)する(まえ)日本列島地域(にほんれっとうちいき)()んでいた(ひと)たちは、大陸(たいりく)住人(じゅうにん)だったことです。その多くが北方系(ほっぽうけい)(ある)いは南方系(なんぽうけい)のモンゴロイドであることは(あき)らかで、日本語(にほんご)がアルタイ系言語(けいげんご)(モンゴル()満州語(まんしゅうご)朝鮮語(ちょうせんご)など)に(ぞく)することはよく()られています。蝦夷地(えぞち)(=北海道(ほっかいどう))にはアイヌ民族(みんぞく)()んでいましたが、その系統(けいとう)については定説(ていせつ)はありません。

 やがて気候(きこう)温暖(おんだん)になると、日本列島(にほんれっとう)には針葉樹林(しんようじゅりん)大型動物(おおがたどうぶつ)にかわって落葉広葉樹林(らくようこうようじゅりん)中小動物(ちゅうしょうどうぶつ)()え、人々(ひとびと)土器(どき)弓矢(ゆみや)磨製石器(ませいせっき)使(つか)うようになりました。この土器(どき)縄目(なわめ)文様(もんよう)特徴(とくちょう)とすることから縄文土器(じょうもんどき)と呼ばれ、その生活文化(せいかつぶんか)縄文文化(じょうもんぶんか)()います。縄文人(じょうもんにん)竪穴住居(たてあなじゅうきょ)()み、(おも)狩猟(しゅりょう)漁労(ぎょろう)()()採集(さいしゅう)によって生活(せいかつ)していました。この時代(じだい)(やく)1(まん)3000年前(ねんまえ)から(ぜん)400(ねん)ごろまで(つづ)きますが、縄文中期(じょうもんちゅうき)には、雑穀(ざっこく)陸稲(りくとう)(まめ)などを栽培(さいばい)するなど、原始的(げんしてき)農耕(のうこう)(おこな)地域(ちいき)()まれています。

 紀元前(きげんぜん)5世紀末(せいきすえ)になると、中国大陸(ちゅうごくたいりく)からの影響(えいきょう)()けて、縄文文化(じょうもんぶんか)にかわる(あたら)しい文化(ぶんか)九州地方(きゅうしゅうちほう)()まれました。この文化(ぶんか)褐色(かっしょく)薄手(うすで)弥生土器(やよいどき)(ともな)うことから弥生文化(やよいぶんか)()ばれますが、青銅器(せいどうき)鉄器(てっき)などの金属器(きんぞくき)使用(しよう)し、水稲農耕(すいとうのうこう)(おこな)い、村落生活(そんらくせいかつ)(いとな)んでいます。これらを(つた)えたのは朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から(わた)ってきた(ひと)たちで、この水稲農耕(すいとうのうこう)半世紀経(はんせいきへ)つか()たないうちに東北地方(とうほくちほう)にまで(ひろ)がりました。この弥生時代(やよいじだい)(とお)して、半島(はんとう)からの渡来人(とらいじん)縄文人(じょうもんじん)との混血(こんけつ)(すす)み、現在(げんざい)日本人(にほんじん)祖先(そせん)となるのですが、この弥生時代(やよいじだい)小国乱立(しょうこくらんりつ)戦乱(せんらん)時代(じだい)でした。その混乱(こんらん)収束(しゅうそく)させたのが、4世紀中頃(せいきなかごろ)成立(せいりつ)した日本最初(にほんさいしょ)統一政権(とういつせいけん)である大和朝廷(やまとちょうてい)です。この大和(やまと)大王(だいおう)が、()天皇(てんのう)()ばれるようになります。

 当時(とうじ)日本(にほん)中国(ちゅうごく)から「()」と()ばれていました。中国(ちゅうごく)史書(ししょ)後漢書(ごかんじょ)」や「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、「倭国(わこく)紀元前後(きげんぜんご)には100余国(よこく)()かれていたが、(なが)倭国大乱(わこくたいらん)()て、3世紀(せいき)ごろには卑弥呼(ひみこ)女王(じょおう)とし、(やく)30の小国(おくに)(したが)邪馬台国(やまたいこく)()まれた。」と()されています。また、「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には「(おとこ)はみな()(ずみ)をする。女子(じょし)(かみ)(たば)ねて、(ぬの)中央(ちゅうおう)(あな)をあけ、そこから(とう)()して()ている。気候(きこう)温暖(おんだん)で、年中生野菜(ねんじゅうなまやさい)()べ、裸足(はだし)生活(せいかつ)している。(にん)()づかみで()べ、酒好(さけず)きで、100(さい)や80~90(さい)くらいまで長生(ながい)きする(ひと)(おお)い。」とも()いてあります。(たし)かに、生野菜(なまやさい)()べる、酒好(さけず)き、長生(ながい)きなど、現代日本人(げんだいにほんじん)にも(つう)じますね。

 ちなみに、国家統一(こっかとういつ)実現(じつげん)した大和朝廷(やまとちょうてい)時代(じだい)になると、日本人(にほんじん)は「()」という言葉(ことば)(きら)い、同音(どうおん)の「()」という漢字(かんじ)をあてるようになります。これが「和語(わご)」「和食(わしょく)」などでなじみの「()」の起源(きげん)です。

 一方(いっぽう)(きた)蝦夷地(えぞち)()むアイヌ民族(みんぞく)倭人(わじん)のことを「シャモ」(「隣人(りんじん)意味(いみ)する())と()びました。その名前(なまえ)のとおり、倭人(わじん)とアイヌ民族(みんぞく)は、縄文以来(じょうもんいらい)、お(たが)いに隣人(りんじん)として平和的(へいわてき)交易関係(こうえきかんけい)(むす)んでいました。しかし、15世紀(せいき)になると、倭人(わじん)のアイヌの()北海道(ほっかいどう)への侵攻(しんこう)(つよ)まりました。この倭人(わじん)侵略(しんりゃく)(たい)してアイヌ民族(みんぞく)何度(なんど)蜂起(ほうき)し、(おお)きな(たたか)いを()(ひろ)げましたが、最終的(さいしゅうてき)には敗北(はいぼく)し、江戸時代(えどじだい)には(まつ)(まえ)(はん)支配下(しはいか)()かれました。そして明治以降(めいじいこう)は、アイヌ民族(みんぞく)を「旧土人」と蔑視(べっし)する明治政府(めいじせいふ)強圧的(きょうあつてき)同化政策(どうかせいさく)(おこな)われたため、アイヌ固有(こゆう)慣習(かんしゅう)文化(ぶんか)はほとんど途絶(とだ)え、現在(げんざい)では民族(みんぞく)人口(じんこう)も2(まん)7000~8000(じん)へと大幅(おおはば)()ってしまったのです。