【日本語新聞選読】第11回:5月19日

皆さん、おはようございます。

新聞編集の授業です。

今日は中国のニュースを読んで天声人語ドリル「母親の手記」をします。

 

中間試験
今まで授業で紹介した記事の中で興味があるものに関してのレポート、600字以上。

締め切り 6月2日

メールで提出してください。メール本文に直接入力してもいいです。

件名:【日本語新聞選読中間試験】名前〇〇


 

79歳の実母を墓に「生き埋め」─残酷すぎる中国“姥捨て事件”の顛末

親の介護に疲れた58歳の息子が、あろうことか、79歳の実母を墓地に生き埋めにする──という衝撃的な事件が中国北西部・陝西省で発生した。

その顛末とともに、2億人の高齢者人口を抱える中国の“闇”についてお伝えする。

 

 古墓を掘り起こし、実母を生きたまま“埋葬”

5月6日、中国最大のミニブログ「新浪微博(ウェイボー)」に衝撃的な告発動画が載り、半日で1万1000件以上のコメントが寄せられた。

動画は生き埋めにされた老婆が救出される光景を撮ったものだ。

陝西省(せんせいしょう)の北端に位置し荒涼とした黄土高原(こうどこうげん)が広がる靖辺県(せいへんけん)で、

5月5日午後6時、地元警察十数名が、廃墓地にある地下2mの古い墓穴から79歳の老婆・王某(オウなにがし)を掘り起こした。

 

老婆は2日深夜に埋められ、約70時間飲まず食わずのまま墓穴で生きながらえてきた。

墓は横穴式の構造で、閉じ込められた老婆は、そのまま入り口を埋め戻され、自力では地上に出ることが不可能だった。

ニュースキュレーションサイト「封面新聞(ザ・カバー)」によると靖辺県公安局に5日、地元主婦の張某(チョウなにがし)から通報があり、

夫の馬楽寛(マァ・ロァクアン、58)が2日午後8時ごろ、手押し車の荷台に寝たきりの実母の王某(オウなにがしを載せてどこかへ出掛けてしまい、行方不明という内容だった。

張某(チョウなにがし)によると、3日深夜2時ごろ一人で帰宅した馬楽寛へ「アンタ、一体どこへ行ってたのよ! お義母さんはどうしたの!」と詰め寄ると

「近所でライトバンを借り、バスターミナルへ行って、甘粛省行きの夜行便に乗せてきた。甘粛省の遠縁がおふくろを預かってくれると言ってきた」とつぶやいたので

大急ぎでバスターミナルへ行き、義母の消息を確認したが、それらしき老婆がバスに乗った形跡は無かった。

張某が帰宅すると、夫は忽然(こつぜん)と姿を消していた。

実際には、馬楽寛は手押し車を押して郊外の廃墓地に行き、鍬(くわ)と鋤(すき)で古墓を掘り起こして、墓穴に実母を埋めたのだった。

墓穴には空間があり、頭部は埋められなかったため、老婆は辛うじて呼吸ができる状態だった。

県公安局は5日午前11時、県内をふらふらしていた馬楽寛の身柄を拘束した。

尋問中、彼は「おふくろは今、甘粛省(かんしゅくしょう)の親戚のもとに送られている最中で断じて失踪ではない」との主張を繰り返したが、次第に追い詰められてパニックに陥り、

ついに実母を生き埋めにしたと自供した。

 

県公安局は警官と遺体鑑定の法医からなる救出チームを組織し、同日午後4時過ぎから、馬楽寛の自宅から約4㎞離れた廃墓地で当該古墓の発掘を開始した。

1時間半かかって墓室を掘り当てると、中からうめき声のような音が。「生きてるぞ!!!!」の掛け声とともに警官隊は老婆を抱え上げた。

酸欠状態で瀕死の老婆は、自身の身よりも厳罰に処されるかもしれない息子を案じて警官に「誰に強要されたわけでもない。ワシが自ら這いつくばって穴の中に入ったんだよ」と話しながら

靖辺県中医院(県漢方医学病院)へ搬送され、地元政府から見舞金5万元(約75万円)を受け取った。

当の息子の馬楽寛は、救出劇の一部始終を一言も発せず見守っていた。そして現在も「故意殺人罪」容疑で県公安局に刑事拘留されている。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/d8c3c9681c456790f8d93acbbcf7a60f55187811?page=1

 

  1. 民話「姥捨て山(うばすてやま)」を知っていますか?
  2. 下の日本の事件との相違点、共通点を教えてください。
  3. 中国の事件と日本の事件の感想を教えてください。
  4. 日本の事件のYはその後どうなったと思いますか?
  5. 中国の事件も日本の事件も高齢化社会の問題が顕在化した事件です。
    このような事件を防止するにはどうしたらいいですか。自分の意見を教えてください。

 

京都伏見介護殺人事件(きょうとふしみかいごさつじんじけん)

2006年2月1日、京都府京都市伏見区の桂川の河川敷で当時54歳の男Yが認知症患者の86歳の母親を殺害した介護殺人事件。

加害者Yは3人家族の一人息子として生まれる。1995年に父親が他界したのち、母親が認知症を発症。

Yが単身で介護にあたっていたが、経済的に余裕がなくなったため生活保護の申請を行うも、休職中であったことや失業保険の給付中であったことなどから受け入れられなかった。

Yはのちに退職し母親とつきっきりの生活を送っていたが、次第に生活を賄えなくなり最終的に心中を決意。

二人で河原町周辺を歩き回った後、桂川の河川敷で母親と最後の会話をする。

母が「もう生きられへんのやで。 ここで終わりやで。」「そうか、あかんか。 一緒やで。」「こっち来い、わしの子や。」などの言葉をかけるとYは殺害を決意。

母親の首を絞めて殺害、自らも包丁やロープを用いて心中を図ろうとしたが失敗し、その後逮捕された。

母子のあまりの悲惨な境遇から各所で多くの同情を誘った。

同年7月に京都地裁で行われた裁判では、検察官ですらその困窮ぶりに同情し、福祉事務所の冷淡な対応などに苦言を呈すなど批判的な弁論を行った。

Yは「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」と供述し、法廷は静まり返った。裁判官は福祉行政の在り方に対して疑問を投げかけると同時に、

Yに対して「自分で自分をあやめることのないように、お母さんのためにも幸せに生きてほしい」と述べ、懲役2年6月、執行猶予3年という殺人事件としては異例の温情判決を下した。

Yも「母の年まで生きる」と語った。

 

 

 

 


 

相模原障害者施設殺傷事件(さがみはら しょうがいしゃしせつ さっしょうじけん)

2016年7月26日未明に神奈川県にあった神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件。元施設職員の男U(事件当時26歳)が施設に侵入して所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた。殺人などの罪で逮捕・起訴された加害者Uは2020年に裁判員裁判で死刑判決を言い渡され、自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定した。

殺害人数19人は、当事件が発生した時点で第二次世界大戦(太平洋戦争)後の日本で発生した殺人事件としてはもっとも多く、事件発生当時は戦後最悪の大量殺人事件として日本社会に衝撃を与えた。

 

 

 

 

  

「意思疎通ができない重度障害者を殺した」

事件の5カ月前、電話やLINEで「重度障害者はこの世に必要ない」「抹殺すべきだ」と賛同を求め、疎遠になる友人が多くなった。

植松被告の被告人質問が行われたのは124日の第8回公判。植松被告は「刑事責任能力を争うのは間違い。(自分に)責任能力はある」と弁護人の主張に異議を唱えた。

さらに「意思疎通できない人間は安楽死させるべきだ」と主張。弁護人が「重度障害者でも、家族は愛している」と指摘したが、植松被告は「国から金と時間を奪っている限り守るべきではない」と強弁した。

10回公判は25日に開かれた。犠牲者の遺族が「なぜ殺さなければならなかったのですか」と問い、植松被告は「社会の役に立つと思ったから」と乾いた声で答えつつ、謝罪の言葉を口にした。

心境を「遺族の方と話すのは心苦しい」と述べつつ「できることで一番、有意義だった」と従来の主張を曲げることはなかった。


 

天声人語ドリル「母親の手記」

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岩手日報社「西ノ島プラゴミ汚染」

3番までをやってください。

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posted @ 2020-05-19 07:52  Mayu27  阅读(293)  评论(0编辑  收藏  举报